
山下 緑
灯りのアトリエ 代表
福祉事業コンサルタント|死生観ライフコーチ
介護・福祉の現場では、いま多くの課題が語られています。
人材不足、離職、処遇の課題、虐待やハラスメント、経営難…
私は、それら一つひとつを「点」としては考えていません。
一見、別々に見える問題も、根底ではつながっているからです。
20代、私は病院のソーシャルワーカーとして働いていました。
地域連携室の立ち上げに携わり、ベッド管理や退院支援を担当。そこで多く寄せられたのが「これから介護をどうするか」という相談でした。
けれど当時、介護を経験したことのない私が、介護の相談に応じていることに、どこか納得できないものがありました。
また、困りごとを聞き、利用できる制度やサービスにつなぐ。
「それだけが、本当に相談援助なのだろうか。」
私にとって仕事の軸は、あくまで社会福祉士としての「相談援助」でした。
だからこそ、その幅を広げるためには、相談の先にある暮らしや介護そのものを、自分でも知る必要があると思いました。
結婚を機に転居し、その後地元へ戻った私は、老人保健施設に勤務。認知症棟で実際の介護に携わり、介護福祉士、介護支援専門員の資格も取得しました。
それでも、自分が「相談援助」の仕事をできるようになったとは思えませんでした。
出産を経験した30代。
私は、社会福祉士として、もっと「相談援助」の仕事がしたいと思い、相談機関へとフィールドを移しました。
折しも、高齢者虐待防止法が施行され、地域包括支援センターが設立された年でした。
まだ前例も、十分な仕組みもありません。
デスクと電話、パソコン一台からのスタート。
高齢者虐待への対応も、地域での相談支援も、「どうすればいいのか」を一つひとつ考えながら、仲間とともに仕組みをつくっていきました。
一人では解決できないケースを、多職種で考え、動き、また考える。
前例のないことに、チームで取り組む。
ここで私は、「相談援助」とは、すでにある制度やサービスに人を当てはめることではなく、その人に必要な支援そのものを、ときには「創っていく仕事」でもあることを学んでいきました。
一方、プライベートでは、パーキンソン病を患った父の介護問題と向き合い、32歳のときには、妹が乳ガンを発症しました。
仕事では人の相談に向き合いながら、家庭では子育て、父の介護、妹の闘病と、いくつもの悩みを抱え込む日々を送っていました。
やがて、妹の看取りに向き合うため、時間の調整がしやすい介護保険の認定調査の仕事へ転職しました。
そして39歳。
妹を看取って、わずか半年後。
今度は、夫の自営業が悪化します。
ここから、私の人生は大きく動き始めました。
さらに追い打ちをかけるように、職場の健康診断で引っかかり、子宮ガン宣告。手術の話も出ました。
けれど当時の私は、立ち止まって病人になっている余裕さえないほど、仕事と生活に追われていました。
健康、お金、人間関係。
「相談援助」の仕事をする中で、人の悩みは、どれほど複雑に見えても、掘り下げていけばこの3つに行き着くと考えていました。
その3つすべてが、この時期、一気に私自身の人生に押し寄せてきたのです。
先のことなど、まったく見えませんでした。
当時の私は、ただ、がむしゃらに生きていました。
妹の看取りをきっかけに始めた介護保険の認定調査では、年間約1,000件の調査に携わりました。
認定調査は、限られた時間の中で、相手にも「自分のことをきちんとわかってもらえた」と納得してもらう、生産性(効率と質)が求められる仕事でした。
私の情報収集は、インターホンを鳴らすところから始まります。
五感情報と、それまで積み重ねてきた経験とを照らし合わせながら、その人の暮らしを捉えていきます。
今でも、はっきり覚えている光景があります。
調査で事前に与えられている情報は、住所、名前、生年月日だけ。
訪問先で、いつものように本人確認をし、年齢を尋ね、両腕や肩、膝の動きを確認しました。
そして、最初にした質問が、
「お風呂は、〇〇温泉に自転車で週2回くらいですか?」
女性は驚いた顔で、「なんでわかるん?」と言いました。
数多くの現場を重ねるうちに、私は一つひとつの情報を「点」として見るのではなく、それらを「統合」し、その人の暮らし全体を捉えることができるようになっていました。
並行して、経営が悪化した夫の自営業を手伝っていました。
当時の私は、経営の「け」の字も知らない状態。
知人の経営コンサルタントから、経営の基本の「き」を教えてもらいました。
最初は、売上や経費、人件費、資金繰りといった数字や仕組みを学ぶことが、経営を学ぶことだと思っていました。
目の前の資金繰りに困っている私にとって、「マインドセットが大切」と言われても、正直、そんなことより今すぐ資金繰りを何とかする方法を教えてほしいというのが本音でした。
行動を変え、結果を変えようとする。
それを何度繰り返しても、結局たどり着くのは、その行動を生み出している「在り方」や「前提」でした。
「結局、マインドセットなのか…」
ようやくそう認めた頃、その経営コンサルタントがNLPのコーチでもあったことから、私はコーチングにも興味を持つようになりました。
その時期から、人間の心理や思考、行動の仕組み、自己理解など、さまざまな分野へと学びを広げていきました。
最初は、目の前の問題を何とかするために、必要に迫られて始めた学びでした。
けれど、知れば知るほど面白くなり、気づけば夢中になっていました。
そう、私はもともと、学ぶことが好きだったのです。
こうして積み重ねた学びが、今の私のコンサルティングやコーチング、人材育成、組織づくりの土台になっています。
そんな時期に、父を看取り、遺された手記を読みました。
父は、公立中学校の教員でした。貧しい畳職人の家庭に育ち、「金がない」という両親の喧嘩を聞きながら、「将来絶対職人や商売人のような金を扱う仕事には就くまい」と決心して教員になったと書かれていました。
それは、私も子どもの頃から何度も聞かされていた話です。
けれど、父の死後、改めて手記を読んだとき、
「父のお金や自営業に対する恐れや不安が、私にも刷り込まれてたんだ!」と気づきました。
そして、「自営業は苦労する」という父の言葉が、自分自身の「前提」となり、それを自分の人生で証明するように生きていたのかもしれない、と思いました。
それなら、この自営業を通して身につけた経営感覚を、自分の本来のフィールドである福祉で活かそう。
そう考え、47歳の時、特別養護老人ホームの施設長に就きました。
当時、特別養護老人ホームを取り巻く経営環境も厳しく、全国老施協の令和2年度「収支状況等調査」では、特養の40.7%が赤字でした。私が施設長として就任した法人も、厳しい経営状況にありました。
※出典:公益社団法人 全国老人福祉施設協議会「令和2年度 収支状況等調査報告書」
就任して間もなく、失礼ながら理事長に、
「この施設を閉めるおつもりですか?」と尋ねました。
これまで理事長もずいぶん悩まれていたようで、
「山下さんが駄目だったら、閉めます。」と仰いました。
けれど、経営状況を見れば見るほど、私が思ったのは、
「閉めると言われても、閉めるお金がない。」ということでした。
それなら、「私に任せていただけますか。」そう伝え、そこから、職員とともに施設の経営改革に取り組みました。
これまでの福祉現場での実践。
前例のない問題に、チームで考え、動き、また考えてきた経験。
そして何より、自営業で身につけた経営の視点。
「ああ、今までの出来事は、このためにあったんだ。」と思いました。
それまで別々の場所で積み重ねてきた経験が、ここで一つにつながりました。
1年後には利益率20%、2年後には22%を達成。
3年後には、同じ法人のもう一つの施設の改革にも着手しました。
そして5年後には、2施設とも黒字化。借入金を返済しつつ、手元資金として約6億円が残る法人になりました。
「閉める」と言われても、閉めるお金さえなかった法人が、自分たちの力で動いていけるようになりました。
「もう、私が走り続けなくても大丈夫。」
「やり切った。」そう思い、退職を決めました。
振り返れば、私の人生には、いつも「生きること」と「死ぬこと」がありました。
父の介護と看取り、妹の闘病と看取り。
そして福祉の仕事を通して、たくさんの人の人生の最期にも関わってきました。
特別養護老人ホームの経営改革で、私たちが掲げたコンセプトは、
「『死』を見つめ、『今』を楽しむ。」でした。
「死」を見つめることは、「生」を照らすこと。
それまでの長い間、私は「どう生き延びるか」を考えて生きてきたように思います。
「目の前の問題をどう乗り越えるか。」
「どうすれば生活を守れるか。」
「どうすれば結果を出せるか。」
けれど、先に「死」という命の限りを見つめると、問いが変わります。
私にとっての死生観とは、「生き延びる」から「今をどう生きるか」へ。
人生の目的を、そこから考えるための視点です。
20代の頃、私は、
「困りごとを聞き、制度やサービスにつなぐ。それだけが、本当に相談援助なのだろうか。」と問い続けていました。
社会福祉士の大切な役割の一つに、アドボカシー(権利擁護・意思表明の支援)があります。
私が大切にしてきたのは、目の前の困りごとだけでなく、その奥にある「声なき声」に耳を傾けることでした。
50代になった今、これまでの人生を通して、20代の頃から求め続けてきた「相談援助」の形が、ようやく明確になりました。
本人もまだ気づいていない思いや願い、「潜在欲求」を一緒に見つけていくこと。
そして、その気づきを、本人自身の意思による選択や行動へとつなげていくこと。
私自身も、人生を振り返り、一つひとつの出来事という「点」をつないでいく中で、もともと自分の中にあった力に気づき、本来の自分に戻ってきました。
人にも、組織にも、すでに持っている力があります。
目の前の問題だけを見ていると、その力が見えなくなることがあります。
一つひとつの「点」をつなぎ、「統合」することで、まだ気づいていなかった力が見えてくる。
その力に気づくための灯りを灯すこと。
そして、本来持っている力が、再び動き、巡りはじめること。
それが、私の考える「再生(Regeneration)」です。
ぜひ私と一緒に、
あなたの中にある「灯り」を見つけに行きませんか。